あぁYMO
何十年も前、私にも青春の時代があったのね。
そのころ、いや、もう少し前だったろうか。
幸か不幸か、出会ってしまったのだ。
偉大なる彼らの音楽に。
Y・M・O。
今でもこの呪縛から逃れられない私がここに存在するのだ。
アナログ、デジタルとソフトが進化しようとも、
その時代のクオリティーに決して負けることのない崇高なる音源。
不仲がささやかれていた時も、それぞれの音楽性を認め合っていたからこそ、
彼らが集合したとき、いつでもYMOになった。
私は今でも彼らから離れられずにいる。
他に好きなアーティストがいないわけではないが、
私の根底に何かが居座っているうちは勝ることができない。
崇高な何かが。
偉大な何かが。
結局、今、この時にでも結論が見えない存在だから、
果てしなく私は聴き続けなくてはいけないのだ。
そんな今日のひとりごと。
あぁ新潟交通電車線
現在、新潟市内にはJR以外の鉄道はないんだ。
でも平成11年4月まではあったんだよね。
あぁ、思い出の新潟交通電車線。
この鉄道の開通は昭和8年らしいのだ。
こんなノスタルジックな電車が平成11年まで走っていたのだ。
こんなのもだ。
小田急からも電車を購入したらしい。
しかも塗装は小田急のままなのだ。新潟は雪が降るからこれじゃ目立たず危険だよな。
とりあえず、冬の備えはあったようだが。
このラッセル車も昭和7年製だとか。
平成11年4月4日、最後の日に私が撮影した写真なのだ。実に懐かしい。
ところで、なんで今ごろこんな事をブログにしたかと言うとね。
それは・・・・思いだしたから。
なんで思いだしたかと言うとね。
バスで復活したからなんだ。
現在、新潟交通はバスのみの営業で、こんな連接バスも運行しているのだが、
この連接バスで電車カラーを復活させてほしかったな。
こっちの方が「鉄道」らしく仕上がったのではないか・・・
と、私はひそかに感じているのだ。
今日はこんなひとりごと。
あぁハーフトラック!
あまり喜ばしいことではないけど、戦争は発明のオンパレード。
「闘争本能」を合理的及び迅速に満たすために。
もちろん残酷な発明兵器も存在したであろう。
悲しいことではあるが。
でも今日のひとりごとは、そういった点ではなく、ただただメカ的に素晴らしいと感じた兵器を語ってみたいと思うのだ。
それは、「ハーフトラック」なのだ!
素晴らしいメカだ。
トラックの後輪をキャタピラ方式とし、どんな悪路でも走破できる車両なのだ。
元々はフランスで開発されたらしいが、私には、このアメリカ製のMー3型がたまらないのである。
後部に10人の兵員を乗せられて、迅速に兵員を輸送させるいわば「戦場のタクシー」
自衛隊にもアメリカから供与され、ご覧のように「日の丸」をつけたわけだが、見れば見るほどいい雰囲気だ。
実に男のロマン。
現代の兵員輸送車は全部がタイヤ、もしくは全部がキャタピラの物が世界の主流らしいが、当時の、この何とも言えない中途半端な感じが私の人間性とオーバーラップして悦楽の域だ。
陸上戦闘兵器の花形であろう戦車と並んでも、どうですか!このエクスタシー。
やはりハーフトラックは私のマインドを包み込む極楽浄土的な存在。
ハーフトラックよ、永遠なれ。
あぁ消防団2
午前中にブログを更新したのだが、今日は祝日。
特にする事もないので私が入っている消防団の「備えあれば憂いなし」的な話でもしてみようかねぇ。
火災の際、放水が一番の活動となるから日頃のホース点検は必須。
信じられないかもしれないが、訓練中にピューっとホースの途中部分から水を噴くこともあるんだよね。そんなことがないようにチェックは大事だねぇ。
それからポンプ。
いざという時、燃料がカラだったら大変!よって燃料の残量チェック。
でもね、入っていればいいなんてもんじゃない。
燃料って変質するからね。ポンプなんて毎日使うもんじゃない。つまり定期的にエンジンを始動して様子も見なきゃなんだよね。
その他、灯火や各種積載品も点検。
そして何よりも大切なのは他の部隊と、いかに連携のとれた活動ができるかという事。
我々は消防団。消防署の隊員と違いプロじゃない。
みんなが会社員や自営業者や農家や学生という集団。その合い間を使って訓練や日々の点検をしているわけなのね。
「消防署があるから消防団なんて必要ないじゃん」 なんていう意見も聞くんだけど、自分たちの地域のことは消防署よりも知ってるわけ。
もし、自分住んでいる地域で火災があってもね、消防署からきたレスキュー隊員や消防隊員に
「この家には足の不自由なばーちゃんがいる」とか、「この家の裏手に消火栓がある」とか教えてあげることができるし、消防団で培った技術をもってプロの消防隊員の補佐もできる。
また、普段でも「AED」を使える講習も受けているから、たまたま意識を失った人に遭遇しても対処できるし。
ご覧のように消防団の装備はちっちゃいけど、地域に密着した防災組織。
「備えあれば憂いなし!」
このブログを通じて、少しでも消防団という組織に興味をもっていただけたら幸いでございます。
私の所属している新潟市もそうですが、全国的に消防団員が不足している現状。
ぜひ、皆さんの地域でご参加を!
それではまた。
あぁ線路の終わり
旅路もここまでか。 と思うか
ここから始まるんだ。と思うか
「車止め」というこの線路の部分、英語で言うと「エンドレール」と言うらしいから
もはやこれまでということになるのかな。
つまり、旅路もここまでか。
でも、
終着駅は始発駅。
終わりでもあるが、始まりでもある。
まだまだ何とかなるような気がするな。
もう少し前を向こうか。
もう少し顔を上げてみようか。
そう思うことにしたら、ちょっとほっとしたな。
あぁ復興ライヴ
昨日は3月11日。
甚大な被害をもたらしたあの日。
あれから6年。
私はある小さな場所で行われた復興ライヴに行って来たんだ。
募金となる参加費で未だ途中の被災地復興を願いつつ、自分自身も楽しんで来たのだ。
とある支援団体の方が挨拶でこう言ってた。
支援とは「人のため」というより「自分のため」だと。
「何かを支援する行動とは、自分を豊かにしてくれる」と。
願うという気持ちが自分を成長させる。
なるほど。
あぁ海水魚飼育
実は去年の夏前くらいから海水魚を飼っているのだ。
そもそも水槽飼育は好きで、以前は金魚をずっと飼ってたのであった。
飼ってた金魚が死んでしまい、一旦水槽は片づけていたのだが、
また金魚を飼いたいと思いつつ過ごしていたのね。
近所で海水魚を飼ってる人がいてさ。
たまにおじゃまして見てた。
淡水魚しか飼ったことしかないし、自分が飼育するなんて考えたことはなかった。
多少あこがれてたけど。
難しそうってのがやっぱりあってね。
「海水、分けてあげるよ」「やってみなよ」
近所の人は、私の背中を押しちゃった。
今日、水槽掃除をして水を入れ替えたのね。
ピンクの人工草も配置してしまった。
なかなかいいぞ! ピンク色。
私の60センチ水槽は熱帯の海なのだ。
あぁ木の箱
合成樹脂。いわゆるプラスチック。
石油から作られたこの偉大なる素材。
現代に生きる私達にとって、切り離すことのできない素材であろう。
ビール瓶を運んだり保管するのに使う箱も今やプラスチックが当たり前体操(苦)
しかし20世紀中旬くらいまでは
木。
木。
森を守ろう だとか、植林活動 とか、「木」はその存在が自然界に与える恩恵は絶大だという事の意味は分かる。
でも昔は湯水のような存在。
プラスチックに関しても、いわば現在において湯水の存在。
有限な石油。
燃料なんかは節約志向な現代。
製品ユースの石油由来原料の合成樹脂。
どうなるかな。
近未来。
また「木」が見直されるか?
いいかげんにしてよ。
あぁ弁当の包み紙
とある団体の研修旅行に参加したのである。
北陸方面。
「ますのすし」で有名な源さんに併設されているレストランで昼食をいただいた。
(このパッケージでおなじみの「ますのすし本舗源」さんのますのすし)
レストランの横のスペースに同社の資料館があったので覗いてみたのであるが、
弁当の包み紙に心を奪われたのだった。
あぁ、戦時。
パッケージの右上に「国民精神総動員」の文字。
こんな言葉で国民の精神的方向をひとつの目的に向かわせたわけなのだろう。
そして。
このようになってしまった。
皇軍万歳である。
旗を振る女性や子供の心中はいかに・・・
夫、息子、父を戦地へ送ったであろうと思われる残された人たち。
そんな時代のお弁当。
横には我が皇軍の戦車。
歴史の真実をあらためて目の当たりにできた資料館訪問は有意義だった。
今、しあわせに、ますのすしを美味しくいただけること。
ますのすしを噛みしめると同時に、
ある時代においての、決してしあわせではなかった中での弁当の包み紙に、
銃後の方々の思いを少し噛みしめることができたような気がする。
このような展示物を拝見させていただいた「ますのすし本舗源」様に感謝する。
あぁ整列休め
「せいれーつ やすめっ!」
この号令を聞くとハッとする。
このブログの1回目で言ったように、私は消防団員だからだ。
この号令は集団が整列している状況での「休め」の体形をする場合に出される。
この図のように両手を後方で組んで足を少し開く体形なのだ。
ただ辛いのは後方で組んだ両手の位置がベルトの位置ということ。
出来たらダラ~ンとお尻の位置で両手を組めると楽だなぁ と思うからだ。
自衛隊などでは「休め」という号令もある。
この場合、お尻の位置で両手を組む事ができる。
消防団では、この「休め」の号令は私の在籍している9年間において一度も聞いた事がない。
場合によって「整列休め」と、「休め」の号令を使い分けしていただけるよう希望する。
これが今日の自己中心的ひとりごとである。
ちなみに、自衛隊イベント会場などではこんなお茶のペットボトルが販売されている。
商品名にビビって自分を失い、思わず買ってしまった悲しい私がここにいる。
あぁキハ40型
キハ40型ディーゼルカー。(キハ47)
あぁ、この知性あふれる顔つき。
機能重視の中にも無骨さを感じさせないデザイン。
あぁ、永遠なれ。
キハ40型が登場するまでのディーゼルカーといえばこんな感じ。(キハ52)
まっ平らな前面ガラス。
2灯に改造されているけど、元々はオデコの真ん中にデカイ1灯のヘッドライト。
まさに機能性重視だけのデザイン。
これはこれでいい味出してるけど、やっぱりキハ40型と比べるとおっさん顔。
でも色はいい。
キハ40型が世に出た時の国鉄は赤字でさ。
本来ならこのカラーリングで登場するはずだったんだろうね。
赤字だから塗装の手間を簡素化するために1色になっちゃった。
ネガティブ・・・
一応、「首都圏色」というのだが、見た目の印象から「タラコ」なんて呼ばれてる。
JRになってから製造されたキハ112。
洗練されているといえばそうかもしれないが、
味気ないな。なにこれ。
うーん・・・・
やっぱ、キハ40型がいいな。