あぁ消防団8
はじめに、このたび九州地方に甚大な被害をもたらした豪雨災害で被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げます。
そしてこの災害において我々の同志である消防団員が亡くなられたことに深い悲しみと悔しさで胸が詰まる思いでいっぱいです。
場所は新潟市消防局本部。
我々の分団からも1チームが選手として大会に臨んだのだ。
5月から毎朝、出勤まえの時間を練習にあてて動作を訓練して本番を迎えた選手たち。
競技会場には多くの消防団員や消防職員が応援に来ている。
そして本番という緊張。
普段の練習通りにと意識すればするほど足が震えてくる。
ホースを担いで走る距離も体で覚えたはずなのに、
号令というセリフも完璧に覚えたはずなのに、
頭の中が真っ白になる。
動作ひとつひとつを黄色いベストを着た審査員が横でチェック。
気になってしまい必要以上の力が入ってしまう。
そうこうしてる内に競技が終わる。
私が選手だったときもそうだったが、競技中の記憶がない。
今回の選手たちも同じ事を言っていた。
よく頑張った!
みんな普段は会社員だったり自営業だったり農家という団員たち。
そんな普通のみんなが消防活動服に着替えた瞬間、勇敢な男たちとなる。
あぁ消防団
今日も寡黙に地域の安全を見守る。
あぁ感謝と尊敬
家電量販店の片隅のおもちゃ売り場。
トミカを見ていたらこんな車がラインナップされていたのだ。
ショベルカーである。
それも自衛隊色だった。
ボディ横には「災害派遣」と書かれているのだ。
かっこいいスポーツカーなどではなく、この地味なモデルに驚いた。
忘れたころにやってくる自然災害のたび、目にする車である。
現場でこれらを操縦しているのは自衛官である。
どうだろう。
もし、朝の出勤直前に大地震が発生したとしたら。
それで自宅が被害を受けたとしたら。
会社へいつも通りに出勤するだろうか。
それどころではないでしょう。
多分、同じ状況でも、きっと命令を優先してると思う。
自分の家族より国民の安全を優先に行動してるのが彼らだと思う。
究極だったのは先の大震災での原発事故だ。
上空からの偵察のため派遣された自衛隊のヘリコプター。
被爆の危険を顧みず命令を遂行した。
ヘリコプターの床には放射能の影響を減らすために鉛の板を置いたらしい。
原発敷地内のがれき撤去には戦車が派遣された。
理由は丈夫という事にプラスして、「気密性が高い」というものだ。
とはいえ、
参加した自衛官は恐怖と不安に押し潰されそうだったに違いない。
身の危険を顧みず職務遂行にあたる彼ら。
この1台のトミカで、
私は彼らへの感謝と尊敬を改めて心に感じたのだ。
あぁ国鉄模型2
最初に、
今日のひとりごとは、鉄道模型、いや、鉄道自体に興味がない方々にはまったく面白くないものであるから、興味のない方はそれなりに対応していただきたい。
私は鉄道模型が好きなのだ。
こんな感じである。
一応ポリシーがあって、
「国鉄時代」そして「非電化」に喜びを感じて楽しんでいる。
たとえば、
こんなやつ。
20系という寝台客車であるのだ。
寝台客車というのは元々あったのではあるが、本系は本格的な特急用寝台客車として製造された画期的な形式であるのだ。
この丸いおでこがいいのである。
我が鉄道では「DD54」という機関車に牽引を担当してもらっている。
このDD54というやつは悲運の機関車で、登場時は日本の機関車とは思えぬ斬新なスタイルで人々の度肝をぬいたが、ディーゼル機関(ドイツ製)の調子がイマイチで早々と引退してしまったのだ。でも、そのスタイルは現代の目で見ても超かっこイイのだ。
蒸気機関車である。
「D51」という日本を代表する貨物用蒸気機関車なのだ。
今日は重連で貨物列車の牽引をしてもらった。
先頭のD51は、「なめくじ」という愛称なのだ。
屋根上の装備が「なめくじ」形の覆いで囲まれているのが理由なのだ。
後ろのD51は標準形である。
「なめくじ」と屋根上の機器を見比べていただくと違いがお分かりであろう。
ちなみにこのD51は、私が小学生の時に買ったものなのだ!
なんと40年くらい前のモデルであるのだ。
今でも元気に走ってくれるのだ。
これは「C55」である。
当時流行した流線型のカバーで機関車全体を覆ったタイプなのだ。
が、しかし、蒸気機関車程度の速度では流線型の効果があまり期待できなかったらしく、後に普通のデザインの蒸気機関車に戻されたという事実がある。
当時の国鉄はダイナミック&エネルギッシュに機関車を製造してたようだ。
効果よりも、その姿勢に脱帽である。
14系特急客車を牽引しているのは国鉄時代を代表するディーゼル機関車「DD51」なのだ。
JRになった今でも活躍を続ける傑作機関車である。
そしてこちらは50系普通客車を牽引するDD51なのだが、ヘッドライトが3つあるタイプ、いわゆる「三つ目」と言われるものなのだ。
この三つ目が牽引した50系客車は味わい深いのである。
急行用ディーゼルカー「キハ58」系の一族「キハ28」である。
模型ではいくつものメーカーが出しているのだが、写真は「エーダイ」というメーカーのモデルなのだ。けっこう前に倒産してしまった伝説のメーカーなのだが、我が鉄道では元気に活躍中である。
「キハ35」という通勤用のディーゼルカーなのだ。
このモデルは「エンドウ」というメーカーのものだが、この手の鉄道模型がプラスチック製が主流という中にあって、なんと金属製。
おかげでレール上での転がりも悪く、あまり遊べないヤツでもある。
ただ、「エンドウ」もこのスケールの模型からは撤退しているので貴重かもしれない。
左から24系25形寝台車、20系寝台車、14系座席車、コンテナ特急「たから」である。
良き時代の国鉄全開なのだ!
我が鉄道において、コンテナ特急「たから」の牽引を担当するのは試作機関車「DF91」なのだ。
こんな試作された機関車がコンテナ列車の先頭に立つなんてのは鉄道模型ならではという事になるだろう。
ここまでは主役級であったが、
どんな世界にも、「縁の下の力持ち」の地道な活躍が不可欠。
DD13形。主に車両の入れ替えを仕事にしているのだ。
前期形のヘッドライトが1つタイプが渋くていいのだ。
正式な名前は知らないが、国鉄線に乗り入れる民間の小型機関車という設定で遊んでみたのだ。
これは貨車移動機の設定。まだ手すりなどが未装着の中途半端な状態の製作途中の模型であるが、移動機という事で貨車を引かせてみたものの・・・
ぜんぜん力がない!
超小型モーターなので仕方のないところ。
2軸貨車よりも小さいのだ!
しょうがないので何も牽引しない状態で、普段は走行することはないであろう本線へ。
「キユニ17」&「キハ23」
「キハ20」&「キハ183系特急」
「キハユニ16」、「D51」、「キハ35系」
「C62」牽引のブルートレイン24系25形。
「D60」
鮮やかな黄色が目立つ「タキ5450形」タンク貨車。
貴重な香港トミー製の「タム6000形」タンク貨車2両。
当時は赤塗装が斬新だった「50系客車」。
準急や急行で活躍した「キハ26」。右は寝台急行客車「オハネフ12」。
といった感じで、始めに申した通り、鉄道に興味がない皆様には苦痛のような内容だったことだろう。
とりあえず、目を通して下さった事については感謝申し上げる。
そして、苦痛を与えてしまった事については深くお詫び申し上げる。
まだまだ車両がたくさんあるので機会があったら続編を検討する。
鉄道ファン以外の皆さん、どうか心の準備を。
あぁ消防団7
あぁ、今週、地元近くの農地において小火災が発生してしまった。
夜の9時ころであった。
私は消防団員として現場に向かったのだ。
現場には、近くの消防署から消防車両が駆けつけていた。
一応、消防団の場合、分団長から出動命令が出ないかぎりは待機ということになっているのだが、現場が近かったこともあり独自の判断で向かったのだ。
農地に置かれていた竹などが燃えていたようだ。
私が駆け付けた時には、ほぼ鎮火に近い状況であったが、まだ「鎮火」の確認はされていなかった。
火は見えなくなっている状態ではあるが、念入りに放水をしてポイント付近の温度を下げる処置作業を行っていた。
現場には水路がなく、20メートルほど離れた道路に止めた消防タンク車を「水利」とし、ホース延長で消火にあたったのだ。
彼方の消防タンク車である。
ここからホースを延長したのだ。
緊迫の現場。
照明に頼る夜間の消火作業。
地元警察による現場検証。
別に現場入りした分団長とともに情報収集、消防署や警察への協力作業、土地情報の伝達などを行い、その後我々消防団員は解散した。
日々防災活動をしていても、このように火災は時と場所を選ばず発生する。
悲しい現実である。
今回の出動も人的被害がなかったことが救いであった。
あぁ消防団。
あぁチュア
先月、キャンプをしたのであるが、アウトドア用のチュアの購入まで気が回らなかった。
ビギナーなので、「テント」というキャンプの主力装備を購入したとたん他の道具のことまで考えられなかったのである。
キャンプを終え冷静になった今、いよいよ「チュア」を購入したのだ!
これだ。
この肘掛のポケットがいいのだ。
さっそく、
サッポロ ホワイトベルグでポケットを使用しなければ。
これだ!これなのである。
この感じがアウトドアライフという喜びなのだ。
なんだかいつも以上に美味いのだ!
実はこの空間は我が家の庭である。
普段から設置してあるガーデンテーブルに「チュア」を置いてみた。
いい感じである。
普段、植物への関心はあまりないのだが、
パラソル越しに見てみると、日常というものを少し忘れそうだ。
なかなかいいぞ!我が感性。
ホワイトベルグが空いたので、家に入ることにする。
現実に戻るが、この「チュア」でちょっとだけ逃避できた。
いい午後のひとときであった。
あぁ極楽と地獄は隣り合わせ
私は自分に驚いてしまったのである。
「美」とか「安らぎ」なる感覚が自分にあったことに。
あぁ料亭。私のような二等兵には縁遠い世界である。
別世界への入り口である。
なんとなく、実になんとなく私は「美」という空気を感じてしまった。
私のような二等兵が。
お店の方に一声かけて別世界に足を踏み入れてみたのである。
この灯篭の落ち着き具合に「安らぎ」を覚えた。
奥へと続く道は橋になっていた。
この料亭で飼われている鯉だが、
エサをもらえると勘違いして寄ってきたようだ。
すまない・・・私はただの二等兵。
鶴のはく製があった。以前は本物の鶴がいたらしい。
タヌキもいた。
おち〇ち〇が控え目で安心してしまったのだ。
そうめん流しができるようである。
一人前はいくら位するのだろうか と考えてしまう自分がイヤになるのだ。
そして料亭を後にしたのだ。
横にこんな名前の小路が。
左が今ほどの料亭。右には昔、刑務所があったそうだ。
なるほど、地獄極楽小路なわけだ。
あぁ楽と苦 善と悪、光と陰
この小路を歩いてみたが、空気が不安定というか、見えないはずの境界線を感じた。
さっきまでは「美」とか「安らぎ」の感性に気づかされた時間だったが、この小路には、そんなやわらかな感覚は感じられなかったのだ。
この隣り合わせの間を通る道。まっすぐに見えるが人間のあらゆる心模様がどろどろと交差しているような空間である。
けっこうディープなのだ。
あぁ消防団6
午前中、我が消防団の春季消防演習が行われた。
400名を超える団員が参加して分列行進、通常点検、ポンプ操法を行ったのである。
選抜団員による通常点検。
点検者(消防団長、市会議員、消防署長、警察署長、防火団体関係者等)が、消防団員の服装、姿勢などを点検するのである。
ポンプ車操法。
ポンプ車による一連の操作を確実に行う競技。
確実さ、時間、団員の動きなどが厳しくチェックされるのだ。
小型ポンプ操法。
積載小型ポンプを使い、一連の操作を確実に行う競技。
ポンプ車操法と同様、厳しくチェックされるのだ。
今日は、ポンプ車操法、小型ポンプ操法とも、今月25日の新潟市消防団操法大会に参加する選手らによって日々の訓練の仕上がり具合を披露したのである。
選手たちは本番まで毎朝もしくは夜に集まり練習を重ねているのだ。
つまり、会社に出勤する前、または帰宅後に訓練をしているのである。
私も過去に選手経験があるが、練習期間は地獄である。
今日、操法を披露した選手の諸君には本番での上位入賞を目指し頑張っていただきたいと思う。
続いて、
この場を借りて、参加車両を見て頂くことにする。
なかなか渋い雰囲気である。
トヨタ ダイナがベースの普通ポンプ車である。
このタイプは、小規模の消防署などでも昔は見られたタイプ。
消防署では見なくなったが、消防団ではまだまだ主要戦力として活躍してるのだ。
スバル サンバーがベースの小型ポンプ積載車。
積載車としては最近のトレンド。
軽自動車ベースの積載車はトラックタイプが主流だが、最近はこのようなワンボックスタイプが導入されているようだ。
そしてこれが最新鋭の普通小型ポンプ積載車。
日産 アトラスがベース。
ポンプ車ではなく、ポンプ積載車なので後部に積載ポンプがあるのだ。
通常は積載ポンプを車から下ろして使用するが、この新型タイプは積載したまま使う仕様のようだ。
とても消防団の装備とは思えないのだ!
ウラを返せば消防団の任務が過酷になりつつあるということ。
覚悟を決めて活動しなくてはいけない。
地域を守る団員と装備車両の背中には、
災害のない地域を目指す意気込みが見える
誇りとともに。
あぁビアガーデン
新潟エリア、梅雨に入ったのかどうなのか。
地図上では「中部地方」なのだが、天気予報などでは「甲信越?」「北陸?」
あいまいなのである。
それはさておき、とりあえず「初夏」。
オジサンの夏の楽しみといえば、なんといってもこれである。
ビアガーデン!
今年もやってまいりました!!
ここ、とあるホテルの屋上ビアガーデンは昨夜オープンしたのである。
我々某ブラック企業社員一同は、このオープン日の、それも開店時間ピタリにここに集結を試みたのだ。
最初の一杯の直前写真だ!
みんなのグラスに注ぎ終わるまで我慢である。
乾杯のご発声が長いのである。
みんなの手が震えているのが分かるのだ。
定番のビアガーデンメニューである。
オジサンたちにとっては「三つ星メニュー」なのである。
最高の時間である!
盛り付けに性格がでるのだ。
「ヘルシー」などという言葉は、
遠いお空へ飛んでけぇー である。
枝豆の皮なのだ。
ビールと枝豆の組み合わせは痛風にはよくないらしいが、オジサンたちはそんなリスクを恐れないのである。
そもそも「高カロリー」、「高血糖値」、「高血圧」とは、
女性がときめくであろう「3高」なのだ。
こんな「3高」な男たちが集うビアガーデン。
この夏はあと何回訪問できるのか。
実に楽しい夢の始まりなのである。
あぁマニュアル車
私の自家用車はマニュアル車(MT車)なのだ。
免許取得以来5台の車を乗り継いだが、全てマニュアル車だったのだ。
愛車のスズキ エスクードのシフトレバーである!
カッコイイのである。
今の仕事で乗ってる営業車もマニュアル車。
会社の営業車(日産クリッパー)のそれである。
マニュアル車の喜びをより深く体感できるようシフトレバーをチューンナップしてあるのだ(笑)
お花である。
車内で年中咲き誇るお花の”美しさ”、”奥ゆかしさ”、”喜び”といったものを左手に感じながら運転しているのである。
1速の花 つぼみから少しづつ開いて、美しさの頂点めざしてスタートする喜び
2速の花 咲き始めて世間の流れに追いつこうと自分を高めていく喜び
3速の花 あぁいい感じ。咲き乱れる前の爽やかでさらに魅力を増していく喜び
4速の花 「最高に輝いている私を見てっ!」凛とした中に力強く咲く花の喜び
5速の花 あぁー 咲き乱れる絶頂感 あぁ~っ!
こういう具合に、花が華となる崇高な喜びを感じながらのシフトアップで自分と車が一体となって高まっていくのである!
この替え難い快感はマニュアル車に与えられた喜びなのである。
あぁ、マニュアルの花が美しく咲く。
最後に、
Rの花 自分が歩んできた風景や足跡を今一度振り返ってみようと思う花。
軽いギヤ鳴りを左手に感じて、これからの自分はどう輝いていくのか、
過去からそんなことを見つけるのもいいでしょう。
というようにマニュアル車とは人生なのである。
それでは皆さん、今日もいいステップアップ いや、シフトアップを!
あぁポスター
とある場所で見つけたのだ。
相当前の火災防止関連のポスターらしい。
「逃げる」という動作のデザインだが、リアルに「逃げる」という動きがビンビンと響く構成だ。
黒地のバックが悲壮感をあおる。
逃げる人は裸足のようである。非常事態だ。急げっ という感じなのだ。
そして、何と言っても背中に火が。
これはキツイ。
「火災は人災 防ぐはあなた」
いくらそうでも、人が燃えているという火災防止ポスターなどそうそうないだろう。
これは大変だ。
火災には気をつけなければならない。
人々にそう思わせるには十分すぎるポスターとの出会いは大きいと感じた。
あぁ新潟交通電車線2
3月26日、私は平成11年3月31日に廃止された「新潟交通電車線」の思い出をブログにしたが、その思い出が現在どうなっているのかを確かめたくなったのだ。
そこで、私はそれを確かめるため「小さな旅」をしたのである。
まずは旧こなかがわ駅を訪れてみた。
ここは平成5年8月に一部路線廃止として幕を閉じた駅なのだ。
現在はキレイに整備され、地域の憩いの場となっているようだ。
花壇や休憩用のベンチもキレイに整備されていた。
線路もコンクリートで囲まれていながらも当時を思い出せるような雰囲気なのだ。
こなかがわ駅近くの小さな鉄橋も、線路は撤去されているものの残っていたのだ。
その鉄橋近くの電柱。よく見ると、当時、架線柱として使われていたままの姿を今に残していたのだ。感動である。
当時の線路跡は遊歩道となっていた。
続いて旧つきがた駅へ。
この駅は全線廃止時、新潟方面から来る電車の終着駅だったのだ。
ここで私は、感動の再会をした。
モハ11が!
モワ51が!
キ100が!
保存されていたのだ。
前面ガラスが割れていたのか、シートが掛けられていた。
眼帯のように見えてしまうのは私だけであろうか。
ここも線路がコンクリートで覆われていたが、センスのいい遊歩道と感じたのだ。
ここ月潟は、美空ひばりが歌ってヒットした「角兵衛獅子の唄」のモデルとなった地域なのである。実はすごい所なのだ。
駅舎は当時のまま残されていた。整備も行き届いているようだ。
この位置から見ると、今にも電車が出発するような気分なのだ。
遊歩道の反対側は、路面電車の軌道のようになっている。
実際に、旧関屋駅ー旧市役所前駅の間はこのような併用軌道であったので、当時を思い出す方もいるに違いない。
新潟市方面に来ると、あったあった。
旧平島駅付近、西川という川をまたぐこの橋。今は遊歩道として整備されているが、この形状から元々は鉄道の鉄橋なのは明らかである。
さて、私の「小さな旅」はいかがだったであろうか。
思い出を現代に伝え、または整備により人々のために第二の活躍をみせる鉄道遺産。
あぁ新潟交通電車線。
永遠に。
あぁ海水魚飼育5
午前中の新潟市内は気温も低めであり、こんな朝は暖かな水槽の住人たちを観察するにかぎるのである。
水槽の状態としては、怠け者の飼い主を分かってか、シッタカ(貝)1号、2号の懸命な水槽掃除によりコケもない様子である。
私はシッタカたちに頭が上がらないのである。
ガラス面を掃除するシッタカ1号。(ピンボケである)
サンゴの掃除に励むシッタカ2号。(ややピンボケである)
不満ひとつ表わさず黙々と働く姿なのだ。
私もこうありたいとも思ったのだが、いや、待てよ!
ただの食事の行動ではないか!!
赤っぽい尻尾しか見えないが、これはハタタテハゼの野郎なのだ。
ごらんのように、いつもここにいてジッとして一日の大半を過ごしているのだ。
このヤローはエサの時間だけここから出てくるのだ。
調子いいヤツだな と私はいつも舌打ちをするわけであるが、いや、待てよ!
私と同じじゃないか!!
水槽のアイドル カクレクマノミ。
前は、水槽上のあたりで控え目な生活を送っていたのだが、
最近は気分によって岩のあたりまで下がって遊んでいる姿がみられる。
シリキルリスズメダイである。
コイツはいじめっ子キャラで存在をアピールしていたのだが、
最近はというと、
いじめられていたヨスジリュウキュウスズメダイに追い回されているようだ。
はじめのうちはシリキルリスズメの方が大きかったが、最近はヨスジリュウキュウの成長が進み、立場が逆転したのかもしれない。
さすが弱肉強食の世界、恐ろしいのである。
そんな下剋上の厳しさをよそにマイペースなのが彼なのである。
プテラポゴンカウデルニ-というわけのわからない名前の住人である。
慌てない 顔にださない 我が道をゆく という生き方。
しかし見た目は美しい。
ちなみに偶然写真右下で間抜け顔を向けているのが、先ほど紹介したお調子者のハタタテハゼなのだ。まさに、お調子者と無関心なヤツとの共演である。
もう一匹、デバスズメダイというのが住んでいるが、あまりのすばしっこさに写すことができなかった。
まったくKYなのだ。
というように、我が家の海水魚たちはお互いを認めず、自分のカラーを遺憾なく発揮して生きているのだ。
結局、今日のブログを書いていて感じたことは、プテラポゴンカウデルニ-が男の理想ではないかという事だ。
慌てない 顔にださない 我が道をゆく しかも見た目が美しい
リピートする!
慌てない 顔にださない 我が道をゆく しかも見た目が美しい
そこで想像してみた。
もし、自分がこのような男だったとしたら、
多分、
KYな男。
あぁ喫煙
私は愛煙家である。
今のところ、禁煙する気もないのである。
みなさんにはどうでもいいだろうけど、好きなタバコはメビウスの10。
ちょっと前まではマイルドセブンという名前のやつだ。
世の中の流れで愛煙家は肩身が狭い。
まぁ、タバコを吸わない人からすれば迷惑なんだろう。
ごもっともである。
タバコは「百害あって一利なし」だそうだ。
確かにそうだな。 肉体的には。
しかし、精神面においては、「一利なし」という訳でもないだろう。
仕事などでイライラしたり、すごく疲労感を覚えたりした時の私は、
リポビタンDよりメビウスだな。
イライラした時、ちょっと深呼吸でもして落ち着こうと思うとき、この深呼吸にタバコが加わると、これがパワー倍増なのである。
息を煙と共に吸い込み、フア-ーーっと吐き出すと、効果は持続しないながらも落ち着くのだ。いや落ち着いたような気になるのだろう。
これで一応は満足の域なのだ。
視覚的にも、あの煙が空間に溶けていく様子は実にいいものだ。
(吸わない人には大きな迷惑だが)
でも、
現代のタバコに関する諸問題も受け入れて、節度やマナーをわきまえていかなくてはいけないだろう。
他人に悪影響を与えるわけだし、ポイ捨てで火災や美観にも影響を及ぼすだろうから当然だ。
これからも、いい喫煙者でいたい。
ちなみに、今日、住んでる地域の自治会総会があったのだが、いつも頑固で身勝手で、おまけに厳しい質問を連発するあの長老のオヤジでさえ、禁煙ではない会場ながら、外に出てタバコを吸ってた。
あのオヤジでさえこのような行動をするのか! ということに、世論っていうのは本当にすごい力を持っているものだと感じた。
それでは、今からブログを更新して一服することにします。
あぁハコスカ
今日は車の思い出を語ろうと思うのだ。
今の愛車はスズキエスクードなのである。
私にとっては最高の愛車なのである。
でも、
思い出の愛車もあるのだ。
これなのである。
今となっては恥ずかしいのだが「GTーR」仕様であった。
昭和45年式を平成3年に手に入れたのだ。
納車時。
タイヤが太すぎ、直進が安定しなかった印象がある。
なぜか港が似合いそうだと思いこみ、ライトを点灯しての1枚。
このいかついリアスタイルがカッコよすぎなのである。
後ろの倉庫との組み合わせが出来過ぎな1枚なのである。
◎次は思い出のイベント編である。
今は「日本海クラシックカーレビュー」という名で新潟県糸魚川市で毎年行われている伝統のイベントである。
私が参加したのは、その第1回目なのだった。
石川県の根上という所で夏に行われたイベントにも参加したのだ。
新潟から高速道路で行ったのだが、車の性能(老朽化)面でヒヤヒヤだった。
おかげでクーラーがなくてもへっちゃらであった。
日本自動車博物館にも行ってみた。
同世代の車にハコスカ君も昔を思い出したに違いない。(推測)
新潟ふるさと村という会場で行われたイベント「新潟クエスト」参加時の写真。
外国のヴィンテージカーが主体のイベントだったので、私ともうひとりの参加者(右の白いスカイライン)と寂しく展示された。
「なんか寂しいよね」
「そうですね」
もうひとりのオーナーと悲しい会話を楽しんだのだ。
冒頭で ”恥ずかしい” と言ったGTーR仕様。
男なら堂々と「GT」は「GT」として乗るべきだと今は思う。
これが「GT」。(※私の車ではない)
私の車はGTーR風に見せるために、リアフェンダーをカットしてあったのだ。
スカイラインの美しいサーフィンラインを心から愛するべきだった。
若さゆえの反省なのである。
今ではすっかりオッサンになってしまったが、ハコスカと過ごした日々は私にとって最高の思い出である。