自己中心的ひとりごと

心の濾過装置にひっかかったひとりごと

あぁ初詣

昨日は家族で初詣に出かけてきた。

毎年恒例の新潟市にある「護国神社」での初詣。

f:id:yas-99:20180103082906j:plain

天気もよく、穏やかな気持ちでの初詣。

 

護国神社には大きな「絵馬」が飾られるのだ。

f:id:yas-99:20180103082910j:plain

f:id:yas-99:20180103082917j:plain

今年の干支である犬の絵馬が2つ。

 

家内安全、交通安全、健康、仕事の成就などなど多くの願い事を、100円のお賽銭で祈ったのだ!

昨年も100円硬貨1枚でのお参りだったが、事故や健康を大きく崩すことがなかった。

つまり、護国神社の神様はサービス価格にてご利益を提供してくれたという訳なのだ。

さすがだ。

裏を返せば、「お前もそういう人間となれ!」という神様からのお告げなのかもしれない。

「見返りをあてにせずみんなの幸せを願え」

今年もまた100円のお賽銭から学んだのだ。

 

毎年、同じ事を繰り返し感じるということ。

つまり、昨年の365日間、全く進歩がなかったという事だ。

私は人としてまだまだ未完成なのである。

 

毎年毎年、同じ精神教育を年100円の学費で反復教育して下さる護国神社の神様に申し訳ない気持ちでその場を後にしたのだ。

 

教育を受けると腹が減る。

f:id:yas-99:20180103082920j:plain

市内のとんこつラーメン店で「初ラーメン」を食した。

満腹だ。

記憶中枢より満腹中枢が勝り、先ほどの「教育」は記憶中枢自体が胃袋に移動。

消化されつつあったようで、だんだん教えは遠のいた

年頭にあたり早くも人間失格である。

 

帰り道、田んぼ地帯では「白鳥」が食事中だった。

f:id:yas-99:20180103082923j:plain

少し雪が舞はじめた中、北からの使者である白鳥が刈り残ったお米をつついていた。

f:id:yas-99:20180103082926j:plain

昼間は食事し、夕方になるとねぐらに帰っていく。

春が来るまでは新潟県の住民なのだ。

白鳥たちが北へ帰るころ、新潟にも春が訪れる。

 

暖かな季節が待ち遠しいが、それまでの間、消化されたはずの「神様からの教え」を思い出し、人間として成長した我が春を迎えたいと心に誓う。

 

私の1年は、同じ想いの繰り返しなり。

あぁ未熟。