自己中心的ひとりごと

心の濾過装置にひっかかったひとりごと

あぁ美しき末端社会人

私は世間の末端労働者である。

昨日は、そんな末端に生き、労働している同志たちで世知辛さをアルコール消毒してきたのだ。

 

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そんな我々を待ってる店がある。

 

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あぁ、なんという優しさ!

末端を生き抜いている者が集う「迎賓館」はここなのだ!

 

世の中を動かしているのは総理大臣でも大企業でもない。

我々名もなき末端労働者が動かしているのだ。

上から下りてくる「厳しさ」、「不条理」、「ご都合」、「命令」

それを受け止めなくてはならない末端の生きざま。

あぁ素敵だ。

 

アルコール消毒は世間の2等兵たちが重圧を解き放つ大切な行為である。

 

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まずはこの黄金色の消毒液で心の緊張を解す儀式からだ。

 

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あぁ「ホヤ酢」

黄金色の消毒液と併用することが大事。

酢の作用により、酷使している身体の緊張をやわらげるのだ。

 

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あぁ「ホヤ刺し」

ホヤ酢のあとは酢のない刺身の方も服用する。

この苦みともエグ味ともいえない、なんとも言えない感覚で不条理な世の中を忘れそうなエクスタシーに酔いしれるのだ。

 

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末端に生きる者たちの定番、「揚げ出し豆腐」

やわらかく、すぐ崩れる豆腐に自分を置き換えてしまうと悲しくなるが、頼もしい衣に覆われてみるとどうだろう。

あの豆腐のような私が、少し歯ごたえのある人格に生まれ変わったような錯覚に陥る。

内面に訴える揚げ出し豆腐の効能は確かなようだ。

 

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これも世間の底辺でもがく我々の定番だろう。

「串」は権力、不条理、理不尽の象徴である。

「身」の部分は正に我々といえよう。

権力、不条理感に刺されている私たち。

早く串から解放させねばならぬ!

 

串料理を服用することにより、「身」は体内に入り明日への活力に変化し、皿の上に残った「串」は刺す者を失い途方に暮れる権力の無残な象徴へと化す!

あぁ幸せだぁ。

 

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刺身盛りの服用。

アルコール消毒液、ホヤ、揚げ出し豆腐、串焼きという良薬で心と体の緊張を解き、権力の無残な最期を看取った私たち末端勢力であるが、「刺身盛り」という難敵の出現で状況は一変してしまった!

新鮮さ(新しい感覚)、彩り(カラフルな見栄え)贅沢(上級)といった我々がもっとも苦手とする部分の象徴であるからだ。

新しい(斬新な)感覚の吸収力は鈍く、常に地味に生き、贅沢は敵だとの認識で荒波にもまれて生きてきたのに。

 

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このぶ厚い赤身に魂を抜かれてしまった。

 

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とどめの一撃「あん肝」と「かにみそ」が現われる。

ここまで来ると制御不能

アン(あん)コントロールである。

このウケない一言に、オヤジ化した末端社会人の生きざまが集約されている。

 

結局、最後に自分自身の弱さを露呈してしまうという結果となってしまったが、厳しい世間を一瞬だけでも忘れることの出来る「良薬」を処方されたことの効能は大きい。

 

「与えられた場所で咲きなさい」

どこかで聞いた言葉だが、いい言葉である。

不満やわがままばかりでは花すら咲かないだろう。

状況はどうあれ、まず咲かなくては。

どんな花が咲いても、社会において何かしらの意味がある。

あぁ末端の花。美しそうだ。