自己中心的ひとりごと

心の濾過装置にひっかかったひとりごと

あぁ部長はつらいよ

消防操法大会に向け、毎朝練習を続けている。
晴れの日は外、雨が降れば屋内において日に日に厳しさを増した内容となっているのだ!

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私は今年度から分団の部長として出場選手の指導にあたっている。

そして痛感した。
「指導する」ということの大変さを。

先輩部長らが中心となって選手たちを教え導いている傍らで、ただただオドオドしている自分がいる。

私もかつて選手を経験し、本番はもちろん、練習の厳しさを知っているつもりだ。
しかし指導となると、これが難しい。

的確に教え導くことの難しさをつくづくと感じる。

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思い起こせば練習初日、ひとりひとりが挨拶をした時に私は、

「今年度から部長になりました! 選手の皆さんといっしょに勉強したいと思います!」

と、言ってしまったのだ。

これを聞いた選手たちはどう感じただろう。
こんな情けない言葉を発する部長に幻滅したに違いない。
教える側が、教えられる側といっしょに勉強してどうする!

今、私はこの発言を、態度と心構えで撤回するべく奮闘している。

生半可な気持ちを捨て、教える側も努力しなくてはならない!

「大変なのは選手たちだけ」という気持ちが心の奥底にあったのかもしれない。
適当という訳ではないが、そこそこ教えていればいいのだろうという気持ちが、ここにきて苦悩する結果になっているということだ。

操法の手順、ひとつひとつの動作など、すべてを熟知していなくてはいけないということなのだ!

選手時代は、自分のパートを必死に覚えた。
逆に言えば他のパートの操法については分からないに等しい。


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今回の練習期間で、私も勉強しなくてはならないのは事実。
ただ、それは選手たちといっしょにではなく、陰の努力というカタチで実践しなくてはいけない。
選手たちを、操法の手順だけでなく心的な面でもサポートしてあげなくてはいけないのが「部長」の役割。

だから私にはこの苦悩があって当然だし必要ということだ。
もちろん選手たちのため。
そして自分自身のために。

今日はこんな情けないひとりごと