自己中心的ひとりごと

心の濾過装置にひっかかったひとりごと

あぁ消防団16 練習順調!

今朝もいつも通りの猛練習だったのである。
日々選手たちの練度は確実に向上している。

練習中の顔つき、節度、動きは格段に良くなってきており、いかに一生懸命練習に向き合っているかが表れている。
特に強く感じたのは休憩時間の過ごし方だ。

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休憩時間にもかかわらず、細かい動きなどを確認したり、連携する部分について指摘しあったりと、ひとりひとりの意識が高まっているのだ!

休憩時間なんだから体を休めていいはずである。
確かに、練習開始当初は普段の運動不足もあり、待ってましたとばかり選手たちが率先して休憩タイムに入っていた。
それがどうだろう、なかなか休憩に入らないのだ。
しまいには、私たち部長が休憩するよう選手を促すほどだ。
選手たちは仕方なく休憩に入るが、表情は不満そうだ。
今や練習したくてしょうがない様子である。(多分)

選手の選出は、各班持ち回りである。
毎年の選出班が決まっているので、その班の班員から選手を出す。

大抵の場合、選手になることを嫌がる。
朝練習がイヤだし、覚える動作も多い。
できることなら選手にはなりたくないのだ。

だから毎年、最初の練習日には暗い表情で選手が集まってくる。

毎年そうなのだ。

しかし練習が進んでくると、なぜか休憩時間をも惜しんで練習を続けるようになっている!

選手は気づくのだ。
班の代表であること。
分団の代表であることに。

自覚が生まれるということは成長を意味する。

ここまで来れば、今年の選手は大丈夫!
本当に素晴らしい連中が選手になったものだ。

私自身も指導側としては今年は練習の年。
いい選手たちに出会えて本当によかった。

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練習期間もあと半月ほどである。
「やらされている」から「俺たちがやってやる」

いい大人が夢中に操法に挑んでいる姿にあらためて気づくものがある。

俺たちは「消防団


今日はこんなひとりごと

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