自己中心的ひとりごと

心の濾過装置にひっかかったひとりごと

あぁ前兆(まえぶれ)2 さびしさ編

 

yas-99.hatenablog.com

前回のブログ、 会社事務室の花。

末端社会人である私へ何らかの前兆(まえぶれ)かと感じた突然の彩り。

 

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その前兆(まえぶれ)の象徴であった花が小さくなっていた。

私に何かを期待しても難しいであろうという表れか。

私への期待を諦めた彩りは、小さくなり、そして傷みつつあった。

 

昨日は私の暮らす地域のお祭り。

毎年、私は消防団員としてお祭り行列の警備係として参加していたのだが、今年から消防団の部長となったため、警備を若い団員に任せる事になった。

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今年はこのように祭り行列を後ろから見送ったのだ。

何だろう。

このさびしさ。

 

役職の変化とはいえ、警備に参加しないというさびしさ。

何となく取り残されたような気分。

毎年のこの日、この時間。

行列のみんなと楽しく過ごせた数年間。

 

今年、この太鼓や笛の音が聞こえる時間をうまく過ごせなかったような気がした。

 

きっと、あの会社事務室の花は、私への期待の前兆(まえぶれ)ではなく、

私の心の変化への前兆(まえぶれ)だったのかもしれない。

 

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生ビールピッチャーの花瓶に従い、お祭りの夜はビールをたくさん頂いたのだが、

 

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それもインスタントコーヒーの空きビンに変わっていたので、

今朝はコーヒーを飲んでみた。

 

この変化も、何らかの前兆(まえぶれ)なのかもしれない。

飲みすぎ注意だな。きっと。

 

あぁ前兆(まえぶれ)

今朝はこんなさびしいひとりごと