あぁ新潟交通電車線2
3月26日、私は平成11年3月31日に廃止された「新潟交通電車線」の思い出をブログにしたが、その思い出が現在どうなっているのかを確かめたくなったのだ。
そこで、私はそれを確かめるため「小さな旅」をしたのである。
まずは旧こなかがわ駅を訪れてみた。
ここは平成5年8月に一部路線廃止として幕を閉じた駅なのだ。
現在はキレイに整備され、地域の憩いの場となっているようだ。
花壇や休憩用のベンチもキレイに整備されていた。
線路もコンクリートで囲まれていながらも当時を思い出せるような雰囲気なのだ。
こなかがわ駅近くの小さな鉄橋も、線路は撤去されているものの残っていたのだ。
その鉄橋近くの電柱。よく見ると、当時、架線柱として使われていたままの姿を今に残していたのだ。感動である。
当時の線路跡は遊歩道となっていた。
続いて旧つきがた駅へ。
この駅は全線廃止時、新潟方面から来る電車の終着駅だったのだ。
ここで私は、感動の再会をした。
モハ11が!
モワ51が!
キ100が!
保存されていたのだ。
前面ガラスが割れていたのか、シートが掛けられていた。
眼帯のように見えてしまうのは私だけであろうか。
ここも線路がコンクリートで覆われていたが、センスのいい遊歩道と感じたのだ。
ここ月潟は、美空ひばりが歌ってヒットした「角兵衛獅子の唄」のモデルとなった地域なのである。実はすごい所なのだ。
駅舎は当時のまま残されていた。整備も行き届いているようだ。
この位置から見ると、今にも電車が出発するような気分なのだ。
遊歩道の反対側は、路面電車の軌道のようになっている。
実際に、旧関屋駅ー旧市役所前駅の間はこのような併用軌道であったので、当時を思い出す方もいるに違いない。
新潟市方面に来ると、あったあった。
旧平島駅付近、西川という川をまたぐこの橋。今は遊歩道として整備されているが、この形状から元々は鉄道の鉄橋なのは明らかである。
さて、私の「小さな旅」はいかがだったであろうか。
思い出を現代に伝え、または整備により人々のために第二の活躍をみせる鉄道遺産。
あぁ新潟交通電車線。
永遠に。