自己中心的ひとりごと

心の濾過装置にひっかかったひとりごと

あぁ未知のオートマ車2

社用車がオートマ車になり、慣れない感覚との戦いが続く日々。
少しづつ馴染んできたものの、まだまだ鍛錬が必要である。

免許取得以来マニュアル車に乗り続けて30年。
ここにきて突然オートマ車を運転しなくてはいけなくなった悲しい男のドラマが幕を開けたのである。

あぁ、帰って来てくれ「クラッチ」よ!
クラッチ君、今まで君を踏みつけてばかりですまなかった。
こんなに君のことが恋しくなるなんて夢にも思わなかったのだ!
君との突然の別れ。
その悲しみがふつふつとこみ上げている私なのだ。

普段からオートマ車を運転されている読者の皆さんには笑われるだろうが、オートマ初心者の叫びを書いてみたい。

私の使用することになった社用車、オートマなのにマニュアル的な操作が可能なシステムが付いている。

f:id:yas-99:20180731124000j:plain
ゲート左側にレバーを移動するとマニュアル的な操作ができる。

f:id:yas-99:20180731124200j:plain
レバーを下げればシフトアップとなり、

f:id:yas-99:20180731124328j:plain
上げるとシフトダウンができる。

しかし、クラッチ君が去ってしまったので、なんか物足りないギアチェンジとなる。

実にセンチメンタルなギアチェンジ感極まりない。

愛していたクラッチ君をつなぐ操作なしでのギアチェンジは、クリープを入れないコーヒーみたいなものなのだ!(若い方々には意味不明な例えであろう)

とりあえずマニュアル的操作で走行を試みたのだが、まったく面白くない!
やはりギアチェンジというのは、左手左足の共演が生み出す感動に、アクセルが彩りを添える作業。
時には半クラッチというテクニカルな演出も絡んでくる奥ゆかしい操作、そこに全てが凝縮されるのだ。

あぁオートマ車よ、どうか私に感動を与えたまえ。
それがどういう形でもいい。
何か感動がないと耐えられなくなりそうなのだ!
そんなことを願う今日のひとりごと。